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2012.12.28




いつも秋にはパリまで出かけることが多いのですが、先月はパリから急行で1時間ほどのシャルトルまで足を延ばしてみました。
ヨーロッパ中にたくさん存在する大聖堂のなかでも最も早い時期に作られたシャルトル大聖堂ですが、旧市街は良く保存&整備されていて散歩しながら見て回るのにちょうどよい街並みでした。
パリを朝早くに出発〜ローカル線の切符売り場で多少戸惑いましたが無事シャルトルに到着。あいにくの小雨&風のなか大聖堂を目指しました。一度見たら忘れられない特徴のある外観〜ロマネスクからゴシックへの過渡期に造られたことが如実に現れています。

中へ足を踏み入れると、とても暗い〜本当に中世に迷い込んだような薄暗い空間です。暗さに目が慣れてくると、シャルトルブルーと言われるステンドグラスの荘厳さが身に迫ってきます。

連れと二人で教会用の椅子に腰かけてしばらくステンドグラスに見入っていました。すると突然光の揺らめきがステンドグラス大きく揺らし、すべてが明るく浮きあっがったのです。雲の間から太陽が顔を出したのでしょう。
外へ出るとさわやかな青空が見えていました。


十数年前のある日、本当に仲の良い姉妹の鑑定を依頼されました。

当時、20歳代後半のお年頃でしたが、その時の相談内容は仕事や恋愛など目の前に迫っていることが中心でした。

その時の妹さんが、先日相談にみえました。
すでにご家族もいて、仕事もなさっているのですが、子育てと仕事の両立に悩んでおられました。
もちろん今眼の前にある問題についての質問が大事なのでそのことについてお話していると時間はすぐに無くなってしまいます。

実際の鑑定では質問がとても大事です。もちろん、話したほうが良いと思われる場合は質問がなくてもお話しますが、遠い将来の場合にはそこまでお話しする時間がなくなってしまうことが多いのです。

このお二人の場合も、人生の後半は随分と異なる運勢が暗示されておりました。お一人は家族に恵まれ、仕事にも恵まれる・・・、でも、もう一人は、楽しく自由な前半生のあとで、家族は無く一人孤独で、健康にも恵まれない後半生がおとずれる・・・。

どうしてそのような人生が暗示されているのか私には解りませんが、元気で働ける間に後半生の備えをすることはできます。

余計なお世話ですが、もしかしたら何らかの役に立つのでは・・・。

彼女に伝言を託しました。

2012.11.20




先月は、ローマに行っておりました。
観光シーズンなのでたくさんの観光客があふれていました。人でいっぱいのスペイン階段をのぼり少しポポロ広場の方に歩いたのですが、その途中に綺麗な夕陽をみることができました。翌日、ボルゲーゼ公園を歩いていると小さな池があり、その中に佇む廟がまるで時間が止まったように建っていました。
ヴァチカンは猛烈な混雑なのに比べ、この公園の中にあるボルゲーゼ美術館は時間制の予約なので、静かにゆったりと鑑賞することが出来ました。入口の掲示板には、当日券は今週中は販売終了ですとあり、その徹底ぶりに感心しました。


ところで、夫婦の縁というのは不思議なものですね。
運命鑑定をご夫婦でという方はとても多いのですが、一人一人の鑑定とはまた違った見方が必要な場合があります。


10年ほど前に鑑定を頼まれたご夫婦のご縁がとても不思議なものだったので、強く印象にのこっています。このご夫妻はお二人で小さな事業を営んでおられたのですが、奥様からご依頼があり鑑定をしました。
当時は事業も順調で何の心配もないご様子でしたが、とにかくお二人の観命表を作成しました。その内容は、ご主人の方はあまり大きな問題もなくご自分の努力によって人生を切り開いていく強い運勢を表していました。ところが奥様の運命には大きな苦難が暗示され、いずれは事業の継続もままならずご自分がずべての重荷を背負って歩き続ける〜という内容でした。
その時のご質問には答えましたが、遠い将来のことまで話す時間もなくこちらもそこまで深く踏み込むことはしませんでした。
ところが、しばらくしてからご主人が難病とわかり今年になって事業もやめて治療に専念するとの便りをいただきました。

本当に仲の良いご夫婦ですが、お二人の縁の深さにより、今世での宿題がお二人で支えあい苦難に立ち向かってそれを乗り越えていくことだったのだろうと思います。


私たちは、グループで輪廻転生していくといわれています。
親や兄弟、夫婦や親友、または敵やライバルなどなど・・。
そのため、ご自分の運命はまわりのご縁の深いひとたちの運命と強いつながりがある場合が多いのです。


2012.8.25




北海道の夏もそろそろ終わりに近いですが、先日、富良野から美瑛を廻ってきました。
安田侃の作品を森の中に配置しているアルテピアッツア美唄〜噴煙を上げる十勝岳&富良野岳〜アップルに採用されて話題になった美瑛の青い池〜。
安田侃の作品は古い小学校の校舎を改造したもので、森の中にひっそりと佇み、ゆっくりと楽しめる環境です。最近、お茶を飲める場所も出来、静かで心温まるところです。
美瑛の青い池は十勝岳の噴火の際に作られた土砂崩れ防止用の堰堤に近くの湧水が溜まった偶然の人造湖ですが、水の中に含まれるミネラル分が多く独特のエメラルドグリーンの水色となり、白樺などの立ち枯れの風景と相まって隠れた名所となっていました。今では大きな駐車場も出来てたくさんの人が訪れています。

 

2012.6.19



先月は、ロンドン在住のご夫妻に誘われていたバルセロナまで行ってきました。
我々は初めてだったので、何度も訪れている彼らに案内されるままに楽しい時を過ごしました。
写真ではよく目にするサグラダファミリアは最終日に訪れましたが、実際に現地で見ると、その圧倒的な存在感に感動しました。
そして〜最も印象に残ったのがガウディの初期の建築の「グエル邸」でした。

外観は鉄製の扉が異彩を放っているとはいえ地味な印象ですが、一階エントランスに入ると雰囲気は一変します。
吹き抜け天井やパイプオルガンが造りつけの壁面など、細部に至るまで独特の装飾が施され、それほど広くはない建物なのに各部屋ごとにがらりと印象がかわり時間のたつのも忘れていました。
私たちは朝一番の入場だったので、観光客も少なく静かな感動を十分に堪能することが出来ました。

ガウディというと、サグラダファミリアがあまりに有名ですが、彼の建築の最大の理解者であり、仕事の依頼者でもあったグエルという人物の存在なしには彼の建築が現在まで残ることはなかったのでは・・・と感じます。
グエル氏が亡くなったあとは、サグラダファミリアの仕事に専念し、それ以外の建築を手掛けることはなかった〜のです。

ホテルがランブラス通りに面していたので、プラタナスの並木が美しい木漏れ日の通りを何度も行ったり来たり〜。

彼らとともに過ごすことの出来たとても幸せな時間でした。


2012.5.20

理性と直感〜その2

私達は60兆個の細胞から出来ていて、それぞれが命を持ち、それぞれが自分の場所をわきまえてその仕事を全うし、時期が来ると粛々と去っていく。その時間は9か月前後という。つまり、私達の身体は1年ほどでそのほとんどが作り変えられまわりの元素と入れ替わる。

その1個1個の細胞が、自分の今現在を常に脳に報告をし続けている。
今は安心して楽しく生きているよ〜、何だか苦しいよ〜、酸素が足りないよ〜、恐ろしい敵にやられそう〜、黴菌がせまっているよ〜・・・・。
全身から報告される無数の情報を一つにまとめたものを気分と言いますが、言葉を変えると直感ともいうのです。

理性というのは脳の働きによるものであり、直感というのは全身を使って導き出すものといえます。

私たちは、毎日あまり意識せずに生きています。しかし、生きているということは実に繊細で微妙な細胞1個1個の働きの上に成り立っているのです。
その中の1個でも、自分はもっと別なことをやりたい、またはまわりに関係なく勝手に増殖し始めたりすると、難病といわれる病気になったり、あるいは死に至る場合もあります。

生きているということは、ひとつの奇跡といってよいと思います。

では、どうしたら直感をうまくとらえることが出来るのでしょうか?

「直感は、食べ物や儀式や水晶玉によって生み出されるものではない。それは自尊心を持てば自然に身に付く。自尊心があれば、未知のものに出会っても自分で何とかできると本能的にわかるので、人生を冒険へと発展させることができる。そして、恐れることなく人を助けることが出来るようになる。」

今日の言葉はアインシュタインのつぶやきを・・・。

「人生にはふたつの生き方しかない。ひとつは、奇跡など存在しないかのように生きる生き方。もうひとつは、すべてが奇跡であるかのように生きる生き方。」

2012.5.5

人は器〜その2


私たちは自分の身体が自分自身だと思っている。もちろん、自分の身体なくして、何も感じることもできないし、考え、行動することも出来ないのは自明のこととおもわれる。
ダマシオの言う通り、「われ思う。ゆえに我あり。」ではなく「我あり。ゆえにわれ思う。」 ということが、最近の脳科学でもわかってきている。

つまり、哲学の水準に科学の水準がようやく近ずき、追い越しつつあるのが現在の状況だと思われる。

しかし、私たちはただ身体だけの存在と考えるのもまた無理がある。
私たちは、どこからきてどこに行こうとしているのか?
人はどうして生まれつき、能力も才能も容姿もすべてが違うのか?
創造者はだれなのか。私たちはただ偶然に生まれてきたのか?
真面目に勉学に励んできたのになぜ就職出来ないのか?
自分がどんなに正しいことをしていても、病気や事故に会うのはなぜなのか?

数多くの矛盾に満ちた世の中で、どうして生き続けなければならないのか?

あなたは、毎日どのようなことを考え、どのようなことを心に感じながら生きていますか?

私達は身体という器を頂いてこの世にやってきました。
しかし、一人ひとりの器はまったく異なっており、同じものはありません。
たとえて言えば、人の器というのは家のようなものです。
木造の家、石造りの家、大きな家、小さな家、門構えの立派な家、みすぼらしい家、部屋のたくさんある家、入りやすい家、お庭のある家、雰囲気のある家、怪しい家、荒廃した家、・・・・・。

自分という器は、生まれつき決まっていた部分と、生まれてから自分が作ったり手に入れたりした部分とがあると思います。
生まれてから自分自身が経験したこと、出会った人、感じたこと、考えたこと、・・・のすべてが、この器の中にため込まれ、住み込んでいます。

美しい景色、音楽、物語、心温まる体験、幸福感、愛する人との生活、充足感ある仕事、・・・。
辛い経験、悔しい思い、取り返しのつかない失敗、苦しい病気、思いがけない裏切り、どうしようもない孤独、・・・。

それぞれ、自分の心の家にため込まれ、あちらの部屋、こちらの部屋に住み込んでいます。

与えられた器の中に、何を入れるか?これは、すべて自分の選択です。
重要なこと、大きな決断などはもちろん、どのような些細なことでも〜
ここに保存され、住み込んでいます。

その結果として、自分の運命が決まっていき、時間の経過とともに自らそれを体験していく〜これが人生の成り立ちです。

ただ、アビラの聖テレサが言っているように、どんな人の心の家にも、命の源の住む部屋を持っており、苦難をくぐりぬけて、この事に気ずくように導かれている〜。

「人の身体は魂の宿る聖なる神殿である。」


2012.4.16

理性と直感〜その1

直感とはなんだろう?
どんな人でも直感があり、日常の生活の中で様々にその力を使っていると思う。よく「自分の直感を信じなさい」というときは、一体どのように考え行動しろと言っているのだろう?

私たちが、子供のころから、常に言われ続けている「理性的に考えなさい」と、どこがどのように違うというのか?

ほとんどの人は知らず知らずのうちに、直感を使って考えている。
ただ、これまたほとんどの人が、健全な直感ではなく安心できる直感を求める。
たとえば、第一印象で受けた印象をそのまま採用せずに、そんなはずはない、そんなことがあるはずがない、などと理性的に考えて最初に受けた直感を否定してしまう。
しかし、何度否定しても心の中に湧き上がってくるもの、それが直感の本質ともいえる。

理性の声〜それは、常に論理的な説明を要求する心の働きですが、残念ながらこの世の成り立ちや出来事は常に理性を超えている。

「どうして私はこのような病気になったのか?」
「どうして何も悪いことをしていないのにこのような結果になったのか?」
「どうして自分は事故に会ったのか?」

理性には答えられない〜なぜなら、理性的な心を生みだしているのは貧しさへの不安、過ちを犯す不安、拒否される不安、孤独への不安、だから・・・・。

理性は生きる力を与えてはくれない。いくら理性的に考えても、前向きな力は生まれてこない。

そして、過去の苦しみに執着し、マイナスの因果関係に囚われていく。

人生を理性でコントロールするのは限界がある。
理性は人に生きる意欲をあたえることはない。

「生きる意欲は魂から生まれる」

そして、自分自身の再生に必要な情報は常に魂からの直感として与えられる。

つまり、理性の出発地点は自我〜自己保存、保身、見栄、責任追及〜
     直感の出発地点は魂〜命のふるさと、人類、自然、神〜

最後に心の法則を一つ〜

「あなたが見るものにあなたは近ずく。神を見れば神に近ずき、塵を見れば塵に近ずく。」

2012.3.17


人は器〜その1


「一滴、また一滴としたたり落ちる水が水差しを満たすことができるように、人が悪を少し、また少しとためこんでいけば、悪は人を満たすことができる。」
これは、仏陀の言葉ですが、まさに人は器のようなものといえます。

私たちは器としての体を親から与えられて生まれてきましたが、その器に何を入れるのかは自分自身の選択によります。
自分の体を使ってどのような体験をするのか?
今、何を食べ、誰と一緒に居て、何をするのか?
どこに暮らし、どのような仕事をするのか?

一瞬、一瞬の考え、行動のすべての選択の積み重ねが生きるということです。
そして、その選択のすべてが自分自身の器に蓄積されていきます。

どのような小さな考え、見過ごされるような一瞬の判断や行動、そのすべてがカウントされ記録されていきます。

そして、仏陀の言葉にあるように、もう引き返すことができない地点を通り過ぎてしまいます。その結果は、自分自身で必ず経験することとなります。つまり、運命が確定します。

しかし、これは真実であるとともに、祝福でもあります。

つまり、出来るだけ善きことを選び、どんなに些細なことであっても疎かにせずに自分の心に信じることを続けることによって、自分自身の力で幸せを実現できるということです。
引き返すことが出来ないある地点を通り過ぎると、幸せが押し寄せてくるようになります。

これが、運命を変える〜秘訣ともいえると思います。

2012.1.25




人生の旅〜若き二人の旅に寄せて

週末に息子夫婦と冬の京都へ行ってきました。

北野天満宮では早咲きの梅の花が咲き、ろう梅が冷たい空気のなかで濃い黄色の花を咲かせていました。

今にも雨の降りそうな生憎の天気でしたが、予約していた修学院離宮まで皆で向かいました。

比叡山が雲の間からすぐ近くに見えていました。

朝食後の穏やかな時間や、古くからある老舗の珈琲屋さん〜 で過ごすお茶とともにゆったりと話の出来る時間が本当に貴重なものに感じました。

自分の生い立ちや親達の若き日々の葛藤や選択、自分に連なる人々の具体的な人生やそのルーツを少しずつ話伝えていくこと・・・。

長い間、どうしても出来なかったことがようやくかなう事に感謝・・です。


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